🇩🇪ドーベルマン🇩🇪

【ドーベルマンの歴史と沿革】
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試行錯誤とO・ゲラー氏

ドーベルマン氏は『シュヌッペ』と呼ばれていた黒色の被毛にタンと灰色の下毛をもつ雌犬を所有しており、牧羊犬・狩猟犬などに使われていた、ありとあらゆる雑種の雄犬と交配した。彼は1880年前後にふたりの犬友達の応援を受けたが、そのひとりは墓掘り、もうひとりは教会のベル係で、3人共同の事業として犬の作出を協力し合った。
しかし、実際にはしっかりとした気質の犬を作ることはなかなか難しく、最初は見事に失敗して精悍そのものの恐ろしい犬が生まれたといわれている。彼は明確に定義した繁殖プログラムを持っていなかったので、目的を達成するまでに多くの時間がかかった。そのころからアポルダ市内外の人は、黒色にタンがくっきりした犬を指して「ドーベルマン氏の犬」または「ドーベルマン氏のピンシャー」と呼んでいた。
しかしドーベルマン氏は(その職業や犬友達から想像して)、当時の社会からは下層の地位にあり、教養、学識がなく、ドーベルマン種の確立・固定・改良には限界があった。
その時期に、酒造所のオーナーであるオットー・ゲラー(1853〜1922年)がドーベルマン氏と彼の犬に会い、大変魅力を感じ、当初はすべての面で偉大なスポンサーとしての役割を果たした。ドーベルマン氏の功績をたたえ「ドーベルマン・ピンシェル」と名づけたのも彼である。
また1899年、彼の尽力により「ドーベルマン・ピンシャー・クラブ・アポルダ」が創設された。これは後に「ナショナル・ドーベルマン・クラブ・オブ・ジャーマニー」となり、1890年、公式にドイツ・ケンネル・クラブに認められたのである。
彼はその一方で、ブリーダーとして「チューリンゲン・ケンネル」犬舎主として、ドーベルマンを科学的に研究・発達させ、使役犬、展覧会犬として大成させた。チューリンゲン・ケンネルの血液は、後にヨーロッパをはじめ、世界中で見られるまでに功績を上げている。こうしたことから、ドーベルマン氏より、むしろオットー・ゲラー氏を功労者として高く評価する人が多い。
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