🗻山🌄

🌐世界の山
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【ヒマラヤ】

サンスクリットで「雪のすむところ」の意。インド・チベットの国境線を限り、西はインダス川流域から東はブラマプトラ川に達する長さ約2500`、幅200〜350`に及ぶ大山脈。ふつうはその北西方のカラコルム山脈を含め、また北側のカイラス山脈やトランス=ヒマラヤ、パミール高原周辺、崑崙山脈の一部を加えることもある。ここではカラコルムを含めて取り扱うことにするが、この山域には8000bをこえる巨峰が15座、7000b級は200〜250を数え、これらが長大な連嶺を形成し、いわゆる「地球の石帯」とよばれている。

〔区分、おもな山〕
だいたい次のように区分される。
@アッサム=ヒマラヤ
大山脈の東部、シッキム領内を流れるティスタ川からブラマプトラ川に至る一連の山域で、主としてブータンの北境を占め、ナムチャバールワ、クーラー・カンリ、チョモラリーなど7000b以上の高峰がそびえる。
Aネパール=ヒマラヤ
大山脈の核心部で、その山勢はインド平野に向かってひきまわした氷雪の屏風のようにネパール・チベット国境に延々と連なる。世界の最高峰エベレスト(中国名チョモランマ、ネパール名サガルマータ、8850b)をはじめマカルー、ローツェ、チョー・オユー、ゴサインタン、マナスル、アンナプルナT峰、ダウラギリT峰のほか、ヒマルチュリ(7864b)など8000b級がそびえ、山岳愛好者のあこがれの的となっている。この山群に属ずるネパールとシッキムの国境にそびえる山塊はシッキム=ヒマラヤとも呼ばれ、カンチェンジュンガ(8586b)のほかカブルー、ジャンヌ、カンバチェンなど7000b級がある。
Bガルワル=ヒマラヤ
カリ川とサトレジ川の間の山群。7000b級のナンダ・デビーやカメート山、日本隊が登頂に成功したナンダ・コット(6867b)がある。
Cパンジャブ=ヒマラヤ(カシミール=ヒマラヤ)
大山脈の西部を占め、インダス川とサトレジ川にはさまれた山域。ナンダ・パルバット(8126b)がそびえ、ヌン、クンの7000b級を抱えている。
Dカラコルム
カラコルム山脈については、次ページに記載してあります。

〔地形・雪線〕
高度6000bをこえる大ヒマラヤと3000〜5000bの前ヒマラヤ、さらに南麓の1000〜1500bの低ヒマラヤに分けられ、その間に幅の狭い縦谷盆地が横たわる。地質的にも三つに分けられ、大ヒマラヤ北部以北は古生代・中生代の海成層、その南部と前ヒマラヤは花こう岩・片麻岩・結晶片岩類、低ヒマラヤは新第三紀の河成層が広く分布する。雪線高度は南斜面で4000〜5500b、北斜面で6000b。雪線をこえると山地氷河が発達し、とくにカラコルムで著しく、シアチェン氷河(72.5`)を最長とし、ビアフ氷河、ヒスパー氷河などいじれも60`以上に達する。

〔住民〕
主としてチベット系で、遊牧や焼き畑耕作に従事する。またヒマラヤ登山に不可欠のシェルパが住む。

〔登山史〕
ヒマラヤの本格的な踏査は19世紀に入ってはじめられ、1848年イギリス人ジョセフ・フッカーが東部ヒマラヤ方面に学術探検を行ったのが最初といわれる。日本人で最初にヒマラヤ越えをしたのは河口慧海で、1899年であった。ヒマラヤの高峰にいどむ野心的な戦いは1883ごろからはじめられ、1931年イギリス隊のカメート山登頂成功後7000b級高峰の征服が続出し、その後37年にかけて20余の7000b級高峰が世界の登山隊によって征服された。日本隊のナンダ・コットの征服もその中に含まれる。第二次大戦後はヒマラヤ登山の黄金時代を迎え、1950年フランス隊のアンナプルナの登頂成功から8000b級の征服がはじまり、53年イギリス隊のナンダ・パルバット登頂。54年イタリア隊のK2登頂、56年日本隊のマナスル登頂など、8000b級の巨峰は60年までにゴサインタンを残して全部征服された。

〔トランス=ヒマラヤ〕
ヒマラヤ大山脈の北部、チベット中央部を東西に走る全長約2300`、最高峰はニェンチェンタングラ(7088b)。モンスーンがヒマラヤ山脈にさえぎられるため雨量は少ない。
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