👻UMA、伝説、怪事件👽

🐬人魚
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アジアの人魚伝説

海人

古代中国でヒトの祖先とさ

アジアの人魚伝説

海人

古代中国でヒトの祖先とされた、一種の海棲人類のこと。『淮南子』巻四では、各種の動物について、古代中国独特の「進化論」が説かれている。ヒトの進化の道筋については、「𥥛(ハツ)は海人を生じ、海人は若菌(じゃくきん)を生じ、若菌は聖人を生じ、聖人は庶人を生ず。およそ𥥛なる者は庶人より生ず」とある(𥥛は、「穴かんむり」の下に「祓」の右半分を書く)。

この一文は難解だが、ヒトの祖先は𥥛(細毛におおわれたサル)であり、以後、𥥛→海人(海棲人類)→若菌(意味未詳)→聖人(完成された古代の人間)→庶人(普通の人間)→「およそ𥥛なる者」(未来の退化した人類)と、進化と退化を重ねてきた、と解釈する主張もある。

浪奸

韓国・朝鮮に伝わる人魚伝説で、あるとき李鏡殊(イ・ジンスウ、이진수)という漁夫が、海上で美女に誘われ、龍宮へ行って一日を遊び、帰るときに、食すると不老長寿になるという高麗人参に似た土産(これを人参ではなく人魚と称する)をもらった。訝った李鏡殊はそのままにしておいたが、娘の浪奸がそれを食べてしまう。彼女は類い稀な変わらぬ美貌を得たが、数百年もの長寿を持て余し300歳を越えて山を彷徨い行方不明になったという(『韓国の民話と伝説(高句麗・ 百済編)』)。

海人魚

中国の人魚。『洽聞記』という書物によれば東海(東シナ海)に生息し、体長は大きい個体では5〜6尺(約1.5〜1.8メートル)。容姿は大変美しく、髪は馬の尾のようで、鱗には細い毛がある。中国の人魚伝承では交婚が認められていないことが多いが、海人魚は交婚は自由であり、臨海で多くの鰥寡を捕らえて池や沼で養うという。

日本の人魚

日本でも人魚の存在が早くから知られている。最古の記録は619年とされており、大阪で漁師の網に人魚が捕えられたという記述が『日本書紀』にある。

また聖徳太子が近江国(現・滋賀県)で人魚に会い、生前の悪行で人魚に姿を変えられたと聞いて手厚く供養したという話もある。

鎌倉時代の『古今著聞集』などでは、日本の人魚はヒト状の顔を持つ魚とされていたが、江戸時代後期にはヨーロッパ同様、ヒトの上半身と魚の下半身を持つ姿と伝えられるようになる。

日本各地に伝わる人魚伝説は恐ろしいものとされることが多い。江戸時代の越中国(現・富山県)では、角を持った全長11メートルの人魚を人々が450丁もの銃で撃退としたといわれる。若狭国(現・福井県南部)でも漁師が岩の上に寝ていた人魚を殺した後、その村では海鳴りや大地震が頻発し、人魚の祟りと恐れられたという。このように人魚が恐れられたのは、中国の『山海経』に登場する、赤子のような声と脚を持つ人魚の影響を受けたためといわれる。

一方では吉兆との説もあり、寿命長久や火難避けとしても崇められたこともある。高野山の麓の西光寺(和歌山県橋本市)には全長約50センチメートルの人魚のミイラがあり、不老長寿や無病息災を願う人々の信仰の対象となっていたといわれ、現在でも橋本市の有形民俗文化財に指定されている。

八百比丘尼

八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)は、日本のほとんど全国に分布している伝説。地方により細かな部分は異なるが大筋では以下の通り。

若狭国のとある漁村の庄屋の家で、浜で拾ったという人魚の肉が振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることは知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰り道に捨ててしまった。だが一人だけ話を聞いていなかった者がおり、それが八百比丘尼の父だった。

父がこっそり隠して置いた人魚の肉を、娘が盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十代の美しさを保ったまま何百年も生きた。だが、結婚しても必ず夫に先立たれてしまい、父も年老いて死んでしまった。終いには村の人々に疎まれて尼となり、国中を周って貧しい人々を助けたが、最後には世を儚んで岩窟に消えた。

八百比丘尼の伝承は日本各地にあるが、中でも岐阜県下呂市馬瀬中切(旧益田郡馬瀬村中切)に伝承される八百比丘尼物語は「浦島太郎」と「八百比丘尼」が混ざった話として存在し、全国的に稀である。

京都府綾部市と福井県大飯郡おおい町の県境には、この八百比丘尼がこの峠を越えて福井県小浜市に至ったという伝承のある尼来峠という峠がある。

『康富記』には、15世紀中頃に白比丘尼という200余歳の白髪の尼(13世紀生まれの尼)が若狭国から上洛し、見世物として料金を取った記述があるが、『臥雲日件録』では白比丘尼は八百老尼と同じであると解されている。ただし、この老尼は八百比丘尼伝説を利用した芸能者だったと考えられている。当時から八百尼丘尼の伝説は尼によって布教活動に利用されており、こうした伝説を利用する女性も少なくなかった一例である。

その他の日本の人魚

江戸時代の古書『絵本小夜時雨』の二之目録「浪華東堀に異魚を釣」に記述がある。寛政12年(1800年)、大阪西堀平野町の浜で釣り上げられたとされる体長約3尺(約90センチメートル)の怪魚。同書では人魚の一種とされるが、多くの伝承上の人魚と異なり人間状の上半身はなく、人に似た顔を持つ魚であり、ボラに似た鱗を持ち、人間の幼児のような声をあげたという。
水木しげるの著書では「髪魚(はつぎょ)」の名で述べられている。

アイヌソッキ

アイヌ民話で北海道の内浦湾に住むと伝えられる人魚。『八百比丘尼』の伝説と同様、この人魚の肉を食べると長寿を保つことができるという。
中世遺跡出土の「人魚供養札」
秋田県井川町洲崎(すざき)遺跡(13 - 16世紀、鎌倉 - 室町期)出土の墨書板絵の一つに「人魚供養札」がある。これは民話ではなく、出土遺物であるが、僧侶と人魚が描かれた中世における物的資料である。井戸跡から見つかり、長さ80.6センチ。魚の体に両腕と両足が描かれ(尾びれはある)、人の顔だが髪はなく、鱗で覆われている。板絵を観る限り、僧侶より小さい体であるが、犬くらいはある。人魚出現に対し、除災の供養の様子を描いたものと見られる。前述の『古今著聞集』の記述とは形体が違い、四足動物のような外見(両生類とも半魚人ともいえぬ姿)をしている。西洋的分類としては、魚人に近い面がある。
これらの他にも、江戸時代に肥後国(現・熊本県)で疫病の流行を予言したアマビエ、石垣島で明和の大津波を予言したザンなどの伝承がある。
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