👻UMA、伝説、怪事件👽

🐯雷獣
2/5ページ目

雷獣の姿

雷獣の外見的特徴をごく簡単にまとめると、体長2尺前後(約60センチメートル)の仔犬、またはタヌキに似て、尾が7,8寸(約21から24センチメートル)、鋭い爪を有する動物といわれるが、詳細な姿形や特徴は、文献や伝承によって様々に語られている。

曲亭馬琴の著書『玄同放言』では、形はオオカミのようで前脚が2本、後脚が4本あるとされ、尻尾が二股に分かれた姿で描かれている。

天保時代の地誌『駿国雑誌』によれば、駿河国益頭郡花沢村高草山(現・静岡県藤枝市)に住んでいた雷獣は、全長2尺(約60センチメートル)あまりで、イタチに類するものとされ、ネコのようでもあったという。全身に薄赤く黒味がかった体毛が乱生し、髪は薄黒に栗色の毛が交じり、真黒の班があって長く、眼は円形で、耳は小さくネズミに似ており、指は前足に4本、後足に1本ずつあって水かきもあり、爪は鋭く内側に曲がり、尾はかなり長かったという。激しい雷雨の日に雲に乗って空を飛び、誤って墜落するときは激しい勢いで木を裂き、人を害したという。

江戸時代の辞書『和訓栞』に記述のある信州(現・長野県)の雷獣は灰色の子犬のような獣で、頭が長く、キツネより太い尾とワシのように鋭い爪を持っていたという。長野の雷獣は天保時代の古書『信濃奇勝録』にも記述があり、同書によれば立科山(長野の蓼科山)は雷獣が住むので雷岳ともいい、その雷獣は子犬のような姿で、ムジナに似た体毛、ワシのように鋭い5本の爪を持ち、冬は穴を穿って土中に入るために千年鼹(せんねんもぐら)ともいうとある。

江戸時代の随筆『北窻瑣談』では、下野国烏山(現・栃木県那須烏山市)の雷獣はイタチより大きなネズミのようで、4本脚の爪はとても鋭いとある。夏の時期、山のあちこちに自然にあいた穴から雷獣が首を出して空を見ており、自分が乗れる雲を見つけるとたちまち雲に飛び移るが、そのときは必ず雷が鳴るという。

江戸中期の越後国(現・新潟県)についての百科全書『越後名寄』によれば、安永時代に松城という武家に落雷とともに獣が落ちたので捕獲すると、形・大きさ共にネコのようで、体毛は艶のある灰色で、日中には黄茶色で金色に輝き、腹部は逆向きに毛が生え、毛の先は二岐に分かれていた。天気の良い日は眠るらしく頭を下げ、逆に風雨の日は元気になった。捕らえることができたのは、天から落ちたときに足を痛めたためであり、傷が治癒してから解放したという。

江戸時代の随筆『閑田耕筆』にある雷獣は、タヌキに類するものとされている。『古史伝』でも、秋田にいたという雷獣はタヌキほどの大きさとあり、体毛はタヌキよりも長くて黒かったとある。また相洲(現・神奈川県)大山の雷獣が、明和2年(1765年)10月25日という日付の書かれた画に残されているが、これもタヌキのような姿をしている。

江戸時代の国学者・山岡浚明による事典『類聚名物考』によれば、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎という者が雷獣を鉄網の籠で飼っていたという。全体はモグラかムジナ、鼻先はイノシシ、腹はイタチに似ており、ヘビ、ケラ、カエル、クモを食べたという。

享和元年(1801年)7月21日の奥州会津の古井戸に落ちてきたという雷獣は、鋭い牙と水かきのある4本脚を持つ姿で描かれた画が残されており、体長1尺5,6寸(約46センチメートル)と記されている。享和2年(1802年)に琵琶湖の竹生島の近くに落ちてきたという雷獣も、同様に鋭い牙と水かきのある4本脚を持つ画が残されており、体長2尺5寸(約75センチメートル)とある。文化3年(1806年)6月に播州(現・兵庫県)赤穂の城下に落下した雷獣は1尺3寸(約40センチメートル)といい、画では同様に牙と水かきのある脚を持つものの、上半身しか描かれておらず、下半身を省略したのか、それとも最初から上半身だけの姿だったのかは判明していない。

明治以降もいくつかの雷獣の話があり、明治42年(1909年)に富山県東礪波郡蓑谷村(現・南砺市)で雷獣が捕獲されたと『北陸タイムス』(北日本新聞の前身)で報道されている。姿はネコに似ており、鼠色の体毛を持ち、前脚を広げると脇下にコウモリ状の飛膜が広がって50間以上を飛行でき、尻尾が大きく反り返って顔にかかっているのが特徴的で、前後の脚の鋭い爪で木に登ることもでき、卵を常食したという。

昭和2年(1927年)には、神奈川県伊勢原市で雨乞いの神と崇められる大山で落雷があった際、奇妙な動物が目撃された。アライグマに似ていたが種の特定はできず、雷鳴のたびに奇妙な行動を示すことから、雷獣ではないかと囁かれたという。

因州の雷龍
以上のように東日本の雷獣の姿は哺乳類に類する記述、および哺乳類を思わせる画が残されているが、西日本にはこれらとまったく異なる雷獣、特に芸州(現・広島県西部)には非常に奇怪な姿の雷獣が伝わっている。享和元年(1801年)に芸州五日市村(現・広島県佐伯区)に落ちたとされる雷獣の画はカニまたはクモを思わせ、四肢の表面は鱗状のもので覆われ、その先端は大きなハサミ状で、体長3尺7寸5分(約95センチメートル)、体重7貫900目(約30キログラム)あまりだったという。弘化時代の『奇怪集』にも、享和元年5月10日に芸州九日市里塩竈に落下したという同様の雷獣の死体のことが記載されており、「五日市」と「九日市」など多少の違いがあるものの、同一の情報と見なされている。さらに、享和元年5月13日と記された雷獣の画もあり、やはり鱗に覆われた四肢の先端にハサミを持つもので、絵だけでは判別できない特徴として「面如蟹額有旋毛有四足如鳥翼鱗生有釣爪如鉄」と解説文が添えられている。

また因州(現・鳥取県)には、寛政3年(1791年)5月の明け方に城下に落下してきたという獣の画が残されている。体長8尺(約2.4メートル)もの大きさで、鋭い牙と爪を持つ姿で描かれており、タツノオトシゴを思わせる体型から雷獣ならぬ「雷龍」と名づけられている。

これらのような事例から、雷獣とは雷のときに落ちてきた幻獣を指す総称であり、姿形は一定していないとの見方もある。
[指定ページを開く]

←前n 次n→ 

<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。




w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ