3/3ページ目 鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「猫また」 妖怪画 江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になっている。1737年(元文2年)刊行の『百怪図巻』などでは、人間女性の身なりをしなた猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている、もしくは一種の皮肉などと解釈されている。芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある(冒頭の画像を参照)。 また1776年(安永5年)刊行の『画図百鬼夜行』では(右側の画像参照)、向かって左に障子から顔を出したネコ、向かって右には頭に手拭を乗せて縁側に手をついたネコ、中央には同じく手拭をかぶって2本脚で立ったネコが描かれており、それぞれ、普通のネコ、年季がたりないために2本脚で立つことが困難なネコ、さらに歳を経て完全に2本脚で立つことのできたネコとして、普通のネコが歳とともに猫又へ変化していく過程を描いたとものとも見られている。また、アメリカ合衆国のボストン美術館にビゲロー・コレクション(浮世絵コレクション)として所蔵されている『百鬼夜行絵巻』にもほぼ同様の構図の猫又が描かれていることから、両者の関連性も指摘されている。 仙狸 中国で「仙狸(せんり。「狸」は山猫の意)」という猫の妖怪が伝えられている。これは年経た山猫が神通力を身につけた存在であり、美男美女に化けて人間の精気を吸うとされる。 日本の猫又の伝承は、この仙狸を起源とする説もある。 その他 不忍通りには、「猫又坂(猫貍坂・猫股坂)」という坂がある。 新潟県上越市の伝承では、中ノ俣の村に何千年も生きた猫又が暴れていたので、吉十郎という男が退治したが、その死体は高田城下の人々に見せられた。のち、「猫又塚」が作られ、今は「猫又稲荷神社」も建てられた(死後の祟りを恐れた伝承の一)。 [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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